こんにちは、ぼっちんです。
今回は、子どもの頃から耳にタコができるほど聞かされてきたあの言葉
「勉強すれば将来の選択肢が増える」という教育について、少し疑問に感じていることを正直に書いてみたいと思います。
◆ 勉強すれば選択肢が広がる、は本当なのか?
「将来のために勉強しなさい」
「良い大学に入れば、いろんな道が選べるから」
子供がいる親なら誰もが言うであろうこの言葉。
でも、ふと立ち止まったときに思うんです。
「選択肢って、増えてるのかな? それとも狭まってるのかな?」
◆ 「せっかくいい大学入ったんだから」の圧力
いい大学に入ったら、周りはこう言います。
• 「その学歴を活かさないともったいないよ」
• 「頭いいんだから医者や弁護士になれば?」
• 「せっかくいい企業に入れるんだから大手を目指しなよ」
つまり、「自由に選べるよ」と言いながら、実際にはレールが敷かれていくような感覚なんです。
勉強すれば選べる幅が広がるはずなのに、実際は選ばされる流れの中に巻き込まれていく。
「選択肢が増える」という建前と、「こうすべきだ」という期待のギャップ。
その矛盾に、息苦しさを感じてしまう人もいるのではないでしょうか。
◆ 本当に増えているのは「正解のように見える選択肢」だけ
勉強を頑張った結果、いわゆる正解っぽい選択肢は増えます。
医者、弁護士、公認会計士、大企業の総合職、官僚。
世間的に「すごい」「安定している」と言われる道に、近づくことはできる。
でも、そこから外れた生き方を選ぼうとすると、急に失敗のような空気に包まれる。
「えっ、そんなことするの?」
「もったいないよ」
「なんでわざわざそんな茨の道に?」
そんな言葉が、自由なはずの選択を縛ってくる。
これは本当に「選択肢が広がっている」状態なのか?
それとも「選ばなきゃいけない正解が増えただけ」なのか?
僕は、ときどき分からなくなります。
◆ 選択肢が「多いこと」と「自由に選べること」は違う
ここが、すごく大事なところだと思うんです。
選択肢が増えることと、
選択肢を自由に選べることは、必ずしもイコールじゃない。
例えば大学で優秀な成績をおさめて、たくさんの企業から内定をもらったとします。
その中で「大手ではなく、地元の中小企業で地域貢献をしたい」と思ったとき、
それを素直に選べる人が、どれだけいるでしょうか。
親の期待、周囲の評価、年収、社会的ステータス…。
そういった「見えない圧力」が、選択をじわじわと縛っていく。
◆ だったら勉強ってなんだったんだろう?
もちろん、勉強を否定したいわけではありません。
学ぶことで知識は広がるし、思考力も養われると思っています。
ただ、「自由になるために勉強したはずなのに、かえって不自由になった気がする」のは、やっぱり矛盾してる気がしてなりません。
◆ 自分の人生を自分で選べることが、本当の意味での「選択肢の多さ」
僕はFIRE(経済的自立・早期リタイア)を目指しています。
その選択は、社会的に見れば「変わっている」と思われるかもしれません。
「せっかく安定した正社員なのに、なんで?」と言われることもあります。
でも、どんな選択肢が与えられようと、最終的に自分で選ぶことが大切だと思っています。
その選択が「普通」とは違っていても、自分が納得できるならそれでいい。
◆ 最後に
「選択肢を増やすために勉強しなさい」
そう言われてきた僕たちは、本当に自由に選べる世界に生きているのでしょうか?
この記事を読んでくれた人が、もし何か選択に迷っていたり、周囲の声に押されて苦しくなっていたら、
「自分がどう生きたいか」という軸を、そっと思い出してもらえたら嬉しいです。
勉強は、自分の人生を他人のためではなく「自分の意思で選ぶための力」になる。
本当は、そういうものであってほしい。
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