※本記事では過去の精神疾患やギャンブル体験について記載していますが、病気やギャンブルを推奨・助長する意図は一切ありません。
読者の方が同様の選択をすることを勧めるものではなく、あくまで個人の経験談です。
こんにちは、ぼっちんです。
今回は、僕が小中高と不登校だった理由について振り返ってみようと思います。
これまでの自己紹介でも少し触れてきましたが、僕がFIREを目指す背景には、「普通に働くことが難しい」という深い理由があります。
その原点とも言える、不登校になったきっかけと過去の出来事を、正直に書きます。
■ 小学校までは明るく元気な「ムードメーカー」だった
実は僕、小学校の中学年までは毎日元気に登校していて、どちらかというとクラスのお笑い担当のような存在でした。
スポーツも勉強もそれなりにできて、小学校の演劇では主役を演じたこともあります。
「人前に出るのが苦手」と言われる今の僕からは想像がつかないかもしれませんが、当時は明るく目立つタイプでした。
■ 人生が変わった「親の離婚」
そんな順調な日々が180度変わったのは、小学6年生の時。
ある日突然、両親に呼ばれてこう告げられました。
「明日から、お母さんとお父さんは別々に暮らすことになった」
それはまさに晴天の霹靂でした。
それまで両親が喧嘩しているところすら見たことがなかった僕にとって、世界が崩れるような出来事でした。
その後、母と兄と一緒に暮らすことになり、父の社宅を出て引っ越し。
同時に、小学校の転校も余儀なくされました。
のちに知ったことですが、離婚の原因は父の不倫。
しかも離婚からわずか1週間で、父は自分の両親の元に再婚の挨拶に来たそうです。
幼いながらに、裏切られたような気持ちでいっぱいでした。
■ 環境の激変に耐えられず、不登校に
転校先の小学校では、友達もゼロからやり直し。
両親の離婚、引っ越し、転校――この怒涛の環境変化に、小学6年生の僕はついていけませんでした。
その結果、小学6年生の1年間はほぼ不登校に。
心の整理が全くつかず、毎朝布団から出るのもやっとでした。
■ 中学も再スタートできず、1学期で挫折
中学は、親と学校の配慮で元の小学校の学区の中学校に通うことができました。
毎日バスで1人登校。少しずつ頑張ってみようという気持ちはあったものの……
新しい環境、新しい人間関係に、やはり馴染めませんでした。
1学期が終わり、夏休み明け――もう学校へ行くことはできませんでした。
■ 高校も途中で不登校に。人との接し方が分からなかった
高校は、不登校の生徒が多く通う支援的な学校に入学しました。
でも、中学でほぼ3年間引きこもっていた僕にとって、人との接し方は完全に分からなくなっていました。
挙動もぎこちなく、オドオドしていた僕は、クラスの女子に嫌われ、廊下ですれ違うたびに
「キモい」
と陰口を叩かれるようになり、大きなショックを受けました。
その状況に僕は耐えきれず、高校も6月を最後に通えなくなりました。
■ 精神科との出会い、自◯未遂、そして別室登校へ
この頃、本気で命を絶とうとしたことがあり、自◯未遂を経て精神科に通院することになります。
その後、高校2年生からは別室登校という形で、1クラス5人ほどの少人数クラスに所属。
同じような境遇の生徒たちに囲まれ、落ち着いた環境の中で少しずつ学校へ通えるようになりました。
そして、なんとか3年間で高校を卒業することができました。
■ 今、ようやく社会に出られていることが「奇跡」
今では、なんとか正社員として働けています。
精神科に通いながら、薬を服用しながら、それでも毎日働いています。
そして今、FIREという人生最大の目標を持ち、それを希望に変えて日々を乗り越えています。
小中高の不登校、双極性障害、不安障害というハンデを抱えながら、社会で生きていけていることは、
自分でも「奇跡の連続」だったと思います。
📌次回は、この状態からどうやって就職にたどり着いたのか――
高校卒業後の進路と社会人になるまでの道のりを記事にしたいと思います。
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